今から約1年前、2024年1月末に人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」に足を運びました。
「私設」なので市や自治体が運営している公共図書館とはちがい、個人である青木真兵さん、青木海青子さんご夫妻が、奈良県東吉野村の築60年の古民家を、家としても居住しながら、自分たちの所蔵本を書架に置いて、一般の方に開放しているという「私設の施設(?)」である。
(しょうもないダジャレはさておき)この時の私は、転職&退職をしたばかりだった。年明けから就いた仕事が目も回るような激務で、入社から20日目くらいまではなんとか先輩たちにしがみついて働いたのだが、ある朝目覚めた時、「もう無理だ。このままだとおかしくなってしまう」という不安が頭の中を支配し、家から出れなくなってしまった。朝、ベッドで横になったまま社長に電話し、今日で辞めさせてほしいと告げ、その日の午後に会社まで社員証や制服や社用スマホを返却しに行った。
この会社への就職は、それまでの数年間のバイト生活から抜け出すことができる正社員としての仕事だったのにもかかわらず、それをわずか1ヶ月でやめてしまったのだった。なんとも情けない話である。「普通に働けない俺は、一体このままどうやって生きていけばいいのだろう」と心底塞ぎ込んでしまっていた。
そんな折、以前から気になっていたルチャ・リブロに行こうと妻が言った。「せっかく時間ができたのだから、遠出するチャンスじゃない」と。
朝9時頃に出発。大阪環状線のJR鶴橋駅から、近鉄電車、バスを乗り継いて、片道2時間40分。交通費往復4000円。図書館というのは街中や駅前にあり、仕事帰りや買い物ついでにフラッとよるものだと認識していた私には、ちょっとした旅行である。移動の時点から、一体どこに向かっているのか、そこは果たして本当に図書館なのか、そもそも本当に存在するのか、現実味がなくなっていくような感覚だった。
最寄りのバス停「鷲家」に着いたのは正午前。バス停近くの「あしびき」という定食屋で昼食をとる。
(揚げたてのフライが美味しかった)
平日だが昼時もあって次々とお客さんが入ってくる。常連さんが多く、みんな店の方とも顔見知り、常連どうしも顔見知り、隠キャ代表の私と妻には、やや居心地が悪い(笑)
でも別にジロジロ見られるわけでも絡まれたわけでもなく、美味しく料理をいただく。
いつも住んでいる都市ではなく、奈良の奥地の山村まで辿り着いたのだと実感する。
(途中見かけた、懐かしい雰囲気のタバコ屋)
レストラン「あしびき」から歩いて5〜6分。ついにルチャ・リブロに到着する。
小さな橋を渡り、杉林の中を抜ける。杉並木の道はぬかるみ、コンバースのスニーカーで来たことに少し後悔しつつ、図書館の玄関へ。玄関には日常的に使われているであろうゴムブーツが。本当にここで生活していらっしゃるのがわかる。
(小さな橋を渡って杉並木を抜けた先にあるルチャリブロ。「こちら側」から「あちら側」へ足を踏み入れるような感覚になる)
入口の扉を開けようとすると、司書の青木海青子さんが引き戸を開けてくれる。挨拶をして館内に入ると、猫のかぼす館長がスタスタとやってきて足元に擦り寄り、次の瞬間にはゴロンと横になり、撫でろ撫でろとアピールしてくる。…入館して数分の間は、このかぼすちゃんの腹やら背中を撫でることになる。完全に自分が可愛いと、自分でわかっているタイプの猫である(大体の猫はそうかもしれない)我が家にも猫がいるけれど、赤の他人には対してはまず警戒する。このかぼす館長はなんというオープマインドだろう。来館する人間の心を緩めるのには適任である。
「この社会に、こんな場所が存在するんだ…」
3時間ほどの滞在して本を読み、司書の青木海青子さんからお茶を出してもらったり、ストーブの近くで暖をとりながら書棚を眺めたりしながら、最初から最後まで感じていた思いだった。それはなんとも言えない感情で、あえて言葉にするなら「安心感」に近いものだと思う。
大自然の中の喫茶店、ブックカフェ、コーヒーショップ…そういう類のものは今や山ほど存在する。だが当然ながら、それらは全てビジネスであり、山や川といった「自然という癒し」要素をあくまで商品、サービスの価値として捉えられ、経営されている。
「私はこれだけのサービスをあげますよ、だからあなたからこれだけのお金をもらいます」
「私はこれだけのお金を払います、だからあなたからこれだけのサービスを受ける権利があります」
客は消費者であり、店側はサービス提供者でしかない。そんな関係性に囲まれて私たちは暮らしている。それは周り回って、正社員として働くキツさにも通じていく(この無職期の後、私はもう一度就活をし、別会社で社員雇用された。そこには今も就労中である)
正社員なんだから、利益を出しなさい。
正社員なんだから、残業をしなさい。
正社員なんだから、家庭よりも会社を優先しなさい。
この「だから」的圧力がキツい。「会社はあなたを正社員として、福利厚生つけて雇っている。だからもっと頑張ってもらわなくてはいけない」「常に会社の役に立つ人間でいなくてはならない」という価値観をいつの間にか自ら内面化させられてしまう。全ては会社のため、利益のため、つまり金のため。
ルチャリブロにはそう言った価値観や圧力は存在しない。古くて温かみのある家には2人の人間(…と2匹の動物)が実際に生活していて、その個人たちの大量の所蔵本が、自宅に置かれ、お裾分けとして、住居である古民家を使って開放されている。個人の趣味嗜好(そんなカジュアルなものでもないのだが)を外界に開くことで、自然に、結果として公共性を持つ場が生まれている。
そんな場所が現実に存在していることが奇跡のように感じた。役に立つか立たないか、金になるかならないかを重視される貨幣社会から、完全に抜け出すことはできないのだろう。要はバランスなのだと思う。真逆の価値観の世界、まさに彼岸側に行くことで「真ん中」がなんとなく分かる…そんなことを考えたルチャリブロ初訪問だった。
(帰る前に妻が、海青子さんの著書「不完全な司書」を購入。(ルチャリブロ関連の書籍は館内で買うことができる)著者ご本人から手渡され、金銭の授受をする。手触りのある貨幣経済。家に着いてから妻は「買った本にサインもらえばよかった…!」と後悔していた)
青木海青子著 「不完全な司書」晶文社 https://amzn.to/4a17H1F
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本をとおした優しいつながり。「図書喫茶」という妄想。 - 考砂のブログ