考砂のブログ

日々の思考さらさらと

ヨガをほぼ独学で13年続けて思うこと

ヨガを始めて13年経った。

20代後半、慢性的な腰痛に悩まされ、整体の先生からの提案だった。

当初は、「ちょっと本格的なストレッチ」くらいの気持ちだったが、地道に続けていくうちに腰痛や体調だけでなく、メンタルも整うことに気づいた。

 

練習は「ほぼ」独学で、自宅で1人でやってきた。宅ヨガである。

ヨガレッスンに通ったのは計10回ほど(始めてから2〜3年目の頃のみ)

馴染みの先生もいないし、ヨガ仲間もいない。

参考にしたのはヨガ書籍を数冊と、youtube動画。

当然、独学には良い面と悪い面がある。

13年間やってきて感じることをサクッと書いてみようと思います。

 

 

ほぼ独学ヨガを13年続けて良かったこと

⑴お金がほとんどかからない

ヨガを始めるにあたって最初に購入したものは以下のもの。

・ヨガマット 

ヨガは畳やフローリングでもできるけれど、「地面のグリップ」がないとキープしづらいポーズも多くある(基本ポーズのダウンドッグなど)

よって、ヨガマットがあるに越したことはない。厚みは6mmくらいあると良いと思う。

↓は2代目で買ったマット。3000円もしなかった。

https://amzn.to/480qIju

しかもリバーシブルで裏表使えるので、片面が練習の積み重ねでボロボロになってしまっても、まだもう一面残っている。

13年続けてきて、現在のマットは2代目。大変に経済的である。

練習の程度や頻度にもよるけれど、一度買えば、5年以上使えることになる。

 

 

・ヨガ書籍

最初に参考にしたのはこちらの本

「ヨガから始まる心と体をひとつにする方法」 ケン・ハラクマ

https://amzn.to/4ewdbD5

https://m.media-amazon.com/images/I/71hskd6gXOL._SY522_.jpg

世の中には数多くのヨガ本があるけれど、この本はこの先もずっとバイブル的に手元に置いておきたい1冊。

専門用語は控えめ、馴染みやすい文章でヨガの深い部分に触れられる。

本格的なポーズの説明ではなく、

ヨガをすることでどんな自分になれるのか、

日常生活においてどのようにヨガを活かすのか、

そもそもなんのためにヨガをやるのか、

そんな根本的なことを考えさせてくれる。

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Amazonの履歴を見たところ、買ったのは2011年、まさにヨガ始めたばかりの頃だった。今も本棚の隅っこにずっと置いてある。

 

・・・そんなわけでヨガを自宅で独学でやると、驚くほどにお金はかかりません。

・ヨガマット 3000円×2つ = 6000円

・ヨガ書籍×数冊 = 約5000円

・10回ほど行ったヨガレッスン 約4000円×10回 = 40000円

 

これを13年、つまり156ヶ月で割ると、

51000円 ➗ 156ヶ月 = 326円

 

月額326円!(何でも月単位に換算すれば良いものでもないけれど)

 

⑵家で1人で、いつでもできる

独学ヨガなら、ヨガマット1枚と畳一畳のスペース、自分の身体一つ、動きやすい服装(おしゃれなトレーニングウェアでなくジャージで十分です)があればできる。

特別なシューズや高価な道具も必要ないし、天候も関係ない。

(20代の頃ランニングに励んでいた時、悪天候で1日走れないと、逆にそれがストレスになってしまう…そんな本末転倒なことが良くあった)

行う時間だっていつでも良い。おすすめなのは早朝だけど、休日の夕方など、翌日の仕事のことを考えてしまったりで憂鬱な時に15分でもヨガをすると、前向きな気持ちが戻ってくる。

 

ほぼ独学ヨガを13年続けて、良くなかったこと

言うまでもなく、独学は良い面ばかりではない。デメリットもあります。

⑴ヨガ仲間はできない

ヨガ教室に出向かず、家で黙々と練習するわけだから、ヨガを通じての友人知人、人脈は生まれません。当然といえば当然。

ただ私は、

自分の体とヨガマット1枚さえあれば、一人ぼっちでも、いつだってできることが、ヨガの最も良いところの一つだと考えているので、自宅での独学ヨガはピッタリだった。

 

⑵上級者からの刺激、ヨギーとしての効率良いレベルアップはむずかしい

ヨガを始めて2〜3年目の頃、都内のヨガクラスに足を運ぶことがあった(合計10回程度)

そこでプロの先生から教わることは本当に多かった。鍛錬されたアーサナ、ポーズからポーズへの移行動作、立ち姿はとてもうつくしい。それを目の当たりにするだけでも勉強になる。

 

また、周りの人に刺激を受けながら1時間以上ポーズを行い続けると、終わる頃には絞り切った雑巾のようにヘトヘトで、

最後のシヴァ・アーサナ=死体のポーズでは、本当に魂が抜けてしまう感覚を味わえた。(ただ寝てしまっているだけの時の方が多かったけれど)

ヨガレッスンで、限界まで集中してやり切る達成感と充実感は、自宅での個人練習ではたどり着けないと思う。

 

⑶高レベルのポーズ、怪我のリスクがあるポーズには挑戦できない

ヨガでは、普段の日常ではまずやらないような関節の曲げ方や捻り方をする、複雑で高度なポーズも存在します。

それらを自宅での独学で習得するのはやはり難しい。

特に、逆立ち系のポーズは家で1人でチャレンジするのはとても危険です。

どれだけ書籍や動画でインプットして、やれると思っても万が一があるのでやめましょう。

 

【まとめ】

気づけば13年間ヨガを継続できたのは、家で1人マイペースにやってきたからだとも思います。

もしも毎月毎週、定期的にヨガレッスンやイベントに通うやり方だったら、経済的な面や人間関係など、外的要因に負けて、途中でヨガから離れてしまっていたかもしれない

(特に経済面は、恥ずかしながら職を転々、正規だったり非正規だったり安定しない人間のため、そうなっていた可能性は高い…)

 

「今からヨガ始めたい」

「興味あるけどいきなりヨガレッスンに行くのはハードルが高い」

 

そんなふうに考えている方は、まずは独学で、簡単なポーズからゆるく始めてみるのはいかがでしょうか。

ありがたいことに今は書籍だけでなく、youtube動画もたくさんあります。

そして「もうちょっとレベルアップしたい」という気持ちが芽生え始めたら、ヨガレッスンに赴いてみる、そんな流れが個人的にはベターかなと思います。

 

 

新卒4ヶ月で辞めて19年経った私が今思うこと。

新卒入社した会社を、私は半年も経たずに退社した。

 

4月に入社して、8月に辞表を出したので、勤務期間はわずか4ヶ月ばかり。

2005年卒で、今は2024年。実に19年の月日が経った。

42歳になった現在の私は、それなりに楽しく生活している(あくまで主観だが、主観は大事である)

 

長々と自分語りするのも何なので、

辞めてしまった理由を、一気に過剰書きしてみようと思う。

 

新卒4ヶ月で辞めるに至った経緯、理由。

  • 学生の時点で、そもそも『社会人なんて絶対にやりたくない』というダメ根性が根底にあった。
  • よって、就活にも身が入らず、自己分析と企業分析を怠った。
  • 「クリエイターになりたい」という気持ちはあったが、就職せずに好きなことで食っていく決意をする勇気はなかった。
  • 作品を売る仕事として、舞台制作会社の営業に就職。
  • つまり「やりたいことで生きるなんて無理。でも好きなことには片足を突っ込んでるよ」…そんなスマート?な自分を周囲に見せるための就職だった(今思えば反吐が出るほどの中途半端さ)
  • そんな気持ちで入社して、仕事に身が入るわけがない。
  • 上司や先輩との付き合い、取引先とのコミュニケーション、同僚との競争などなど…新社会人なら誰もがぶつかり、2〜3年かけてなんとか乗り越えていく壁に、立ち向かうことをせず、逃げた。
  • 先輩や上司は皆優しかった。パワハラらしいこともなかった。
  • 待遇は確かに良くなかった(週休1日、手取り13万、営業車は自家用車を持ち出しなど)
  • ただ、企業分析の時点である程度わかっていたはず。何より業界の内情を鑑みれば安月給なのは明らか。全て私の準備不足、想定不足によるもの。

 

…ざっとこんなところだが、書きながら当時の自分の愚かさに身がよじれそうになる。

ただ19年も経つと、それなりに客観的に書けるものだ。

自ずと「こうすべきだったな」と今だからこそ気づくこともある。

過去は変えられない。けれど今現在、新卒で入った会社に不安や迷いを感じている人の、ほんの1ミリでもヒントになればという思いもあり、この文章を書いている。

 

新卒4ヶ月で辞めてしまった19年前の自分に言ってやりたいこと。

  • 「やりたいこと・好きなこと」を仕事に求めるのはそんな簡単なことじゃない。
  • 本当にやりたいことがあるなら、就職という選択肢を一度棚上げし、期間を決めて(3年とか)徹底的に挑戦してみたら。
  • 若ければ、アルバイト雇用でもやりたいことの業界に身を置ける可能性が高い。低収入かもしれないが、働きながらスキルや知識を得ることもできる。
  • 業界じみたものでなく、普通のバイトでも良い。20代後半なら正社員経験なくても、再就職なんとかなる。
  • 実家に居れるなら、それも良い。30歳までに独り立ちすれば十分。
  • バイトしながら家計に少額でもいいからお金を入れて、時間を味方につける。やりたいことにとことん集中できる環境を作り、3年間やってみる。
  • もしくは全く逆の方向で、仕事は仕事と腹を決め、就活をしっかりやって、やりたいことは余暇や社会人サークルで取り組むだけでも、日々の生活は楽しくなるかもしれない。
  • 「やりたいことがあるけど、挑戦は怖い」「とはいえ社会人なんてできない」という自分の中途半端な内面を、「好きな業界でサラリーマンやってます」という耳障りの良い言葉で、蓋をするな…!(これが一番言ってやりたいことだと思う)

 

…およそ20年前の自分をボロクソに書いてみると、不思議とすっきりとした気持ちになった。それだけ月日が流れたのだろうな、と思う。時間は残酷だが、誰にも平等で優しい。

 

そうやって4ヶ月で新卒辞めた後は、やりたいことのために上京し、3年経って挫折、30歳手前で再就職、30後半でやはり社会人には向いてないと、小さな事業を始め、無理がたたって体を壊し、現在やっと自分に合った会社に勤めて、それなりに楽しく生きている。

その辺の話はまた記事にできればと思います。

 

 

転職と引越しを繰り返して辿り着いた会社まで自転車5分の生活

現在勤めている会社への通勤は、「自転車で5分」である。

始業8:00で、10分前には出勤するとして、家を出るのは7:45。

 

数年前、東京都に住んでいた頃の私は、郊外のベッドタウンから90分以上かけて都心の職場に通っていた。

通勤ラッシュ。背骨が圧迫骨折するかもしないほどの東京メトロの車内は、奴隷列車と呼んでも過剰ではなかった。

人身事故での運転見合わせ、ダイヤ乱れは日常茶飯事。

大雪や台風で計画運休の情報が流れてきても、

「会社には這ってでも辿り着け」という暗黙の了解が、当時勤めていた会社には存在していたように思う。

何より私自身が、

「どれだけ遅れたとしても、会社には行かなくてはならない。

いや、たとえ辿り着けなくても、

行こうとしている姿勢は見せなければならない」

そんな、今思えば社畜のお手本のような考えに囚われていた。

(実際、数年前の東京大雪の日、朝6時に家を出て、振替輸送を乗り継ぎ、意気も絶え絶え会社に到着したのは、正午を回っていた)

 

その後、転職や引越しを繰り返し、現在は地方都市の小さな会社に勤め、そこから自転車で5分ほどの位置に住んでいる。

あの頃から比べれば、なんとも恵まれた環境である。

 

朝、特段早起きをしなくても時間にゆとりが生まれ、出勤前に掃除洗濯、ブログを書いたり、ヨガ、筋トレも行える。

 

昼休みには一旦自宅に帰ってくることもできる。

仕事が立て込んだ日は、移動時間を差し引いて15分ほどしか家に居れないこともあるが、気分はリセットできるし(リセットしすぎて再び会社に向かうのが億劫になることもある)

冷凍ご飯やうどんをレンチンして、納豆や卵を乗せれば十分美味しく、経済的である。

退勤後にも余裕が生まれ(多少の残業はあれど)スーパーで食材を買って自炊し、夕食以降も映画や読書の時間を確保できる。

 

ちなみに、会社が近所だから「今日人足りないんだ、出れる?」などと休日に急な呼び出しを喰らう・・・なんてことはありがたいことにない。社員10人以下の小さな会社で、まっさらなホワイト企業とはお世辞にも言えないが、ライフワークバランスを強制的にごちゃ混ぜにされたりはしない環境である。

時折、近所や道端で、同僚や会社関係者にばったり会うこともあるが、会釈して少し会話する程度だ。

 

もし、これが都心の(都内でなくとも、街の中心部に近い)職場であったなら、近距離に住まいを置くことは当然、家賃コストが極端に上がってしまうだろう。

都会の空気や流行を身近に感じられるライフスタイル、そんな生活を目指して、高給な職種を目指すのも一つのやり方だと思う(もしくは都会の築古アパートなど住居環境を選ばないという手もある)

 

ただ、私自身40歳を越え、人気の飲食店やショップを目的に外へ外へと繰り出し、欲しいものを買い、食べたいものを食べる、そういった娯楽や刺激よりも、

半径10メートルのささやかな居住空間を、自分の落ち着くもので整え、静かに暮らしたいという気持ちが圧倒的に強くなったのだ。

 

だからこそ地方都市の、さらに奥のベッドタウンの、さらに駅から遠い会社に就職し、そこから自転車で5分の場所に居を構えた。

人気のチェーン店や、コンビニも少ない。坂道は多い。市街地に出るにはバスと電車で一苦労である。

それでも、周囲に自然があり、騒音もなく、地域のスーパーマーケットや図書館が充実している今の住まいはとても気に入っている。

休日は家の掃除、食材の買い出し、筋トレとヨガを行い、あとはゆっくり本を読んだり、こうやってブログを書く。そんな淡々とした生活に満足しつつある。

 

あっち行ったりこっち行ったり、行き当たりばったり、寄り道と行き止まりの多い人生だったが、

40を越えてようやく自分の落ち着くべき生活がわかってきたように思う。

 

自分が本当に求めているものを知るために、時に人は、全く求めていないことを一通りやってみなければいけないのかもしれない。